羽は幌ほろ線天塩川橋きょうりょう工事の様子(1934年~)線路が整えられるにつれて、人々や物の行き来に鉄道が使われるようになりました。1962年10月からは、札幌の足わりをはたしてきましたが、1986年11として大きな役となるなど、鉄道はすがたを消していきました。月に廃振ふら老おい渡と船せん場じょう(~1957年)どう長なが門と船せん(1928年ころ)昔の幌延は、今ほど道ろ路民止し●▲問寒簡かん易い軌き道どうが走っていました(1955年ころ)ぽろむすやくはいととのつかみんじゅうさっ31簡易軌道廃はい線せん式の様子 (1971年5月31日)羽幌線を通る列車の様子 (1987年3月まで)羽幌線最後の運行の様子 (1987年3月29日)問寒別渡船場(1960年ころ)電車の代わりとなる沿岸バスの始発式の様子(1987年3月30日)人や馬、荷物を運ぶために、船がよく使と幌延を結が整ぶ「急行はぼろ号」が運転され、住っていませんでした。そこで、われていました。◦船で行き来していたころ◦鉄道が活発に行き来していたころ幌延の交通のうつりかわり
元のページ ../index.html#33