旧きゅう幌延農のう協きょう57じゃがいもの 収しゅう穫かくの様子旧問寒別農協旧雪印乳業幌延工場農業の発てん●農業の発てん 幌延町に入ってきた初めのころは、人の力だけで土地をひろげていました。1904年(明めい治じ37年)に上幌延に移うつり住んだ藤ふじ井い竹たけ次じ郎ろうさんは、馬を3頭かい、畑をたがやし始めました。やがて、馬は農業に欠かせない家かちくとなり、畑を耕たがやしたり、山の木や農のう作さく物もつを運んだりする仕事にも使われ、1912年(大たい正しょう元年)には515頭にもなりました。広い畑がつくられるようになると、寒さに強いじゃがいもがつくられるようになりました。1914年(大正3年)に問寒別の吉よし田だ鉄てつ二じさんと上幌延の野の崎ざき辰たつ蔵ぞうさんがでんぷん工場を建たてると、その後、徐じょ々じょに工場がふえてきました。1960年ごろには、じゃがいもづくりが農業の中心となっていました。●じゃがいもかららく農へ最初に牛をかったのは、沙さ流る村(豊富町)の太おお田た松まつ次じ郎ろうさんでした。1916年(大正5年)に仲間を集めて組くみ合あいをつくり、牛を20頭をかいました。しかし、牛の育て方がわからず、栄えい養よう失しっ調ちょうなどで死ぬ牛もいました。農家の間では、「らく農を農業の中心にしよう」という声が強くなり、1933年(昭しょう和わ8年)に産さん業ぎょう組合(JA)ができると、組合は乳にゅう牛ぎゅうをかうことを強くすすめました。1938年(昭和13年)に人々の願ねがいにより、北海道製せい酪らく販はん売ばい組合連れん合ごう会かい(今の雪ゆき印じるしメグミルク乳にゅう業ぎょう)が幌延町に工場を建てると、牛乳の生産量もしだいにふえ、今もさかんに行われています。現在では、広い牧ぼく草そう地ちを活用して、自分の牧場で使う以外にも、牧草の販はん売ばいを行っています。
元のページ ../index.html#59